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YouTubeでコラボしました!
安岡蒲鉾さんとコラボしたYouTubeの動画がアップされました!
安岡さんにいい感じで讃岐うどんの魅力を引き出していただき、面白い動画になりました。ぜひご覧ください!
ウラツダ・ブルー
津田の海が目の前に広がる場所に藍染工房「Khimairaキマイラ」がある。
店主の藍染職人、堀尾さんが手作りしてくれた暖簾がシンボルタワー店の入り口でいつもお客様を迎えてくれている。
レジのすぐ後ろには一目惚れして買った藍染のジャケットが飾ってあり、何でこれをここに飾ってあるんだろう?といった視線をいつも浴びている。
シンボルタワー店を立ち上げる時に一番最初に決めたのは、堀尾さんにオリジナルの暖簾を作ってもらうことだった。
「瀬戸内国際芸術祭で出会った素敵なうどん屋さん」
8年前に東京店を立ち上げたときに考えたコンセプトだ。シンボルタワー店は東京店をアップデートしたお店だから、コンセプトは変わらない。
新しいお店を立ち上げるという、リスクが高くて面倒なことを人生をかけてやるのであれば、とことん自分の考える面白いコトを追求したいと思った。これくらいが無難だろう、みたいなことは絶対にやりたくなかったし、人の真似をしたくないという僕の性格がそれを許さなかった。もり家の支店が高松駅前にできた、ではまったく面白くない。もり家の本質を守りながら、僕が考える「こんなうどん屋さんが高松駅前にあったらいいな」を実現してみたかった。
そう考えたとき、コンセプトにピタッと合う暖簾を作ることができるのは堀尾さんだけだった。僕が考えるシンボルタワー店のイメージを完璧に表現してくれた。出来上がった暖簾を初めて見せてもらった時、テレビでよく見る開かずの金庫の鍵のダイヤルがガチャッという音とともに開けられたような感覚になった。
そんな経緯もあって堀尾さんにはとても感謝しているし、業種は違っても同じ職人として心からリスペクトしている。そして、堀尾さんの役に立ちたいというか、堀尾さんの作品をもっと紹介して多くの人に知ってもらいたいという思いが芽生えてきた。
シンボルタワー店でしか手に入らない、1点ものの藍染の作品を販売させてもらおう。そんな構想が浮かんできて、少しずつ動いている。
「ここでしか手に入らない」「1点もの」というのが重要で、それは手打ちうどんと共通している。
堀尾さんの藍染は、天然の生きた染料を使用し、一つ一つ手作業で堀尾さん自身が染めている。ちなみに藍の染料は本当に生きているので、堀尾さんんは365日欠かさず毎日撹拌し調整しているらしい。ちょっとした変化が日々あって、同じものは2度とできない。そしてそれは数多く作ることができないので、一般に流通することもない。僕もオーダーメイドで堀尾さんに藍染のジャケットを作ってもらったが、堀尾さんの作品を手に入れるためには直接現地に行って、そこで出会ったものをその瞬間に手に入れるか、時間をかけてオーダーメイドで作ってもらうしかない。
手打ちうどんも同じだ。僕が手打ちしたおうどんを食べるためには、わざわざシンボルタワー店に足を運んでいただくしかない。そして、18年間ずっと作ってきた僕がハッキリと言えるのは、同じおうどんは2度と作れないということだ。その日、その瞬間、現地で味わっていただくしかない。それでも来てよかったと感じていただけるように僕たち職人は常にベストを尽くさなくてはならないと思うし、同じものに2度と出会えないからこそ、作り手の僕たちは毎日ワクワクできる。
堀尾さんはとてもシャイな人だ。口数が少なく、あまり多くを語らない。オーダーした暖簾をわざわざお店まで届けてくれた時、僕が「すみません、お店まで届けにきてもらって」と伝えると、「ちょっとうどん食べたくなったんで」と一言で済ませる。届けてくれた暖簾を広げるといつも最高の仕上がりで、本当はこの最高の作品を「どうだ!」と自慢して饒舌になってもいいはずのに、飄々とした表情でいつも去っていく。そんな堀尾さんにとてもシンパシーを感じるし、この人はずっと藍染を続けていくんだろうなと感じて、僕も頑張ろうと思わせてくれる。
堀尾さんは職人であり、表現者だ。堀尾さんにとって藍染はアートであり自分自身だと思う。シャイで無口でコミュニケーションが苦手な人は表現の才能をもっていることが多い。うまく自分を人に対して表現できる人は、そもそも作品を作る必要がないし、才能を持ち合わせていないだろう。うまく表現できないから、作品にそれを込める。もっと言えば口では説明できない何かがあるから表現するのだと思う。そして才能とは過剰と欠落の2つを併せ持つものだ。表現することでしか解決できないし、ずっととてつもない孤独と付き合っていかなくてはならない。才能のある人が生み出した作品は力を持ち、それに触れた人に言葉にならない感情の揺らぎを与えてくれる。
せっかくコラボするんやったら、何かネーミングとかコンセプトがあった方がわかりやすいと思うんで、「津田ブルー」ってどうですか?と僕が聞いたら、「讃岐ブルー」もいいんじゃないですか?と堀尾さんが答えた。いや、やっぱりこの津田っていう場所が好きで堀尾さんはここで工房を始めたから「津田」というワードは入れたいんですけどねぇ、と僕がさらに返すと、堀尾さんが最高の答えを出してくれた。
じゃあ「ウラツダ・ブルー」ってどうですか?「ウラツダ」とは堀尾さんの工房がある、さぬき市津田の秘密基地のような場所を上手く表現した言葉だ。
ハマった。それですよ!「ウラツダ・ブルー」でいきましょう!と僕は興奮気味に賛成した。海が目の前に広がる津田の秘密基地で作られた世界で1点ものの藍染。すごくいい。
あの日の夏休み。僕はみんなと一緒に自転車で1時間かけて津田の海に出かけた。夏休みの楽しみのすべてが津田の海にあった。はしゃぎまくった。何でこんなに楽しいんだろう?カンカンに照らしてくれる日差し、アツアツの砂浜、思い通りにいかない波、塩辛くて香りの強い海の味、海の家で夢中になって食べたかき氷。僕たちは思いつくままに遊んだ。クタクタになったら少し休んで、また海に走っていく。帰り道の自転車はカラダが重すぎて辛かったが、夏休み中にもういっぺん津田の海に行こうぜ、とみんなで約束した。
堀尾さんの工房を出て、1人で津田の海に出かけた。こうやって砂浜を歩いたのは何年ぶりだろう?津田の海はあの日と変わってなくて、波風が心地よかった。僕の他に誰もいない砂浜でインスタ用に津田の海を背景に藍染のシャツを撮影した。あまり上手く撮れなかったが、とても楽しかった。何となく僕が堀尾さんの藍染に魅了されている理由がわかった気がした。藍染に込められた堀尾さんの「遊び心」に僕は魅了されているのだ。ストイックに追求し、お客様の期待を超えるものを作り続ける日々の中で、自分にしかわからない隠し味の「遊び心」を加えて完成させる。
堀尾さんは大好きな場所で制作をしたいという理由で津田に工房を構えた。僕も津田が大好きだ。そして藍染の青が一番好きな色だ。
堀尾さんと僕を、津田と藍染とうどんの「遊び心」がつなげ「ウラツダ・ブルー」という言葉が生まれた。そういえば初めて堀尾さんと話したとき「藍染の青は名前もついていないものも含めて100種類あるんですよ」と笑顔で言っていた。藍染にも答えがないのだろう。だから「遊び心」が必要なのだ。
堀尾さんには申し訳ないが、コラボして売ろうなんて微塵も思っていない。それを見た人たちの目が輝けばそれでいい。
久しぶりに津田の海を楽しんだ。これからも僕はずっとうどんを作っていくだろう。
運命の人
ヒエウ君が出演した動画が「NHK WORLD JAPAN」のベトナム版で公開された。
NHK関連で1人の手打ちうどん職人を主人公で取り上げたものは、おそらく社長が出演した2015年の「プロフェッショナル仕事の流儀」以来ではないだろうか?感慨深いというか、運命的なものすら感じてしまう。社長はもちろん、「谷や」の谷さん、「おうどん瀬戸晴れ」の古賀さん、そしてヒエウ君。これで僕がすげぇと感じた手打ちうどん職人はみんな世に出たことになる。
全員に共通することはただ一つ。最初から手打ちうどん職人を職業として選んだことだ。小学1年生からボクシングを始めた井上尚弥や4歳からサッカーを始めたメッシのようなもので、勝てるわけがない。
動画の中でヒエウ君が僕のことを師匠と呼び、その背中を追っていると言ってくれた。
僕は動画の中でヒエウ君を自分の後継者と言っている。僕が教えてきた職人は多くいるが、後継者はヒエウ君1人だけだ。僕が社長から受け取ったとてつもなく重いバトンを彼に渡すことを何年も前から決めている。いつかそのバトンをヒエウ君は未来の彼の弟子にしっかりと引き継いでくれたら本当に嬉しい。
去年だったか、たまたま見たYouTubeの動画の中で元週刊プロレス編集長のターザン山本が語った言葉が、僕がイメージしていた運命という概念を根底から覆し、今も強烈に印象に残っている。
「自分の運命、その道を作ってくれるのはあくまでも他者の存在である」
えっ?そうなの?運命は自分の意志で切り開くものじゃないの?ターザン山本のいつもの逆説が始まったよ。などと思ったが、言われてみればそうかもな、いや、考えれば考えるほど運命を切り開いてくれたのは他者の存在に他ならないと思うようになった。
僕の場合は、もちろん社長だ。社長との出会いがなかったら今の僕はない。もっと言えば社長と出会わなかった人生を想像すらできない。僕は社長と出会い、社長が作ってくれた道を気がついたら夢中になって走ってきた人生だった。そして気がついたら、うどん以外は考えられない人生になっていただけだ。
ヒエウ君にとって人生を決定づける運命的な出会いが僕だったのかもしれない。ヒエウ君も動画の中で「うどん以外の人生は考えられない」と言っていた。過去に戻ってもう1回同じことをやれと言われてもできない、そう確信をもって言える時、その言葉が出てくるのだと思う。
29歳のとき、すべてを失って東京から逃げるように香川に帰ってきた当時の僕は、本当に目の前が真っ暗だった。未来の自分を何も描くことができない。何をやりたいわけでもない。何者かになりたいわけでもない。気力のかけらもない。ただボーっと天井を見上げているだけの日々。俺の人生うまくいかねぇな、なんて迷路の中をぐるぐる回っていると、ふと思い浮かんだ。そう言えば昔、絶対に香川には帰らんけど、もし香川に帰ることがあったら手打ちうどんやってみたいな、なんて考えてたよな。わずかな希望という実体のないものが少しだけ僕の背中を押してくれた気がした。
そして僕は社長と出会った。想像を遥かに超えて厳しかった。そしてカッコよかった。無言の背中が優しかった。僕が出会ったすべての人の中で誰よりも社長が真剣勝負をしていた。香川にこんな人がおるんやとショックを受けた。夢中で毎日を店で過ごし、走り回った。目がまわってフラフラになった日々。生地場で慣れない足踏みをしているとき、湯気を上げながら鬼気迫るオーラを纏って手打ちする社長の背中を見て久しぶりに泣いた。頭をカナ鎚で殴られたような感覚があった。
バカヤロー!いつまでくよくよしてんだ!前を向け前を!今この瞬間を精一杯やれ!ただひたすら命をかけて手打ちする社長の背中が僕を奮い立たせてくれた。
この人についていったら俺の人生もなんとかなるかもしれない。そう思えたあの日、やっと迷路の出口が見つかり、僕の目の前に運命の道が作られたのかもしれない。僕が作ったのではない、社長が作ってくれた道だ。
あれからもうすぐ18年。本当になんとかなった。想像もしていなかった未来に僕はいる。
社長は僕の運命の人だ。僕の人生を変えてくれた人。本当に多くを与えてくれた。
社長から与えてもらったものを、僕が他の誰かに与えることが何よりもの恩返しだと思う。
そしてヒエウ君の運命の人が僕だとしたら、18年前の僕に間違ってなかったよと笑顔で伝えたい。






